ボク(みみた)の闘病報告

これは元気なボク
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 久しぶりにブログの更新をします。


 実はボクから皆さんに報告があります。

 ボクは5月30日午前11時45分、よんたくんのいるお空へ旅立ちました。

 もう家族から おはようと言われても、散歩に行くよ!と言われても、ご飯だよと言われても、

 尻尾をフリフリして喜べないし、
                 
 みゅうが来て頭ですりすりしても、前のようには遊んであげられません。


 皆さんにお別れのごあいさつができませんでしたが、

 入院したりしていて結構大変だったので許して下さい。


 童顔のボクはよく何歳ですかと聞かれるので、先に言っておきます。
 ’99年8月24日生まれ、12歳と9ヶ月です。
 母は中学までは出してあげたい、目指せ15歳と言っていたのに。。



 簡単に経過をお話します。

 今思えば、しばらく前から具合が悪かったのかもしれない。

 でもそれは持病の股関節形成不全の影響かと、家族もお医者さんも思っていました。

  
 4月17日久しぶりに東京に行き、いつもの掛かりつけの動物病院で
 狂犬病の予防注射とフェラリアのチェックをしてもらい、ついでに血液検査もしました。

 ちょっと食欲がない感じですと伝え、診てもらったけど、
 この歳で血液検査や他の状態から見て非常に元気そうですし、
 大丈夫でしょうと、言ってくれたのでしたが・・・・・・

 この頃から以前から食べていたドライフードは食べられなくなりました。
 でも食べられないだけで散歩も出かけたし、朝は母も起こしてあげました。
 
 
 千葉の工房に戻ってからも食欲不振は続き、
 一週間後の24日こちらの病院を受診しました。

 ここでは悪性腫瘍や、胃の内部に異物があるのではなどと検査されました。
 結局何も判らずしまいでした。


 ゴールデンウィーク(4/28,29)には父の友人が来てバーベキューでしたが、
 いつもならウッドデッキで皆と楽しむのに、調子が悪くてダメ。
 オジサン達からは「聞き分けの良い、いい子だねぇ」と褒められたりしました。


 5月に入ると何も食べられなくなってしまいました。
 水さえも飲めません。


 何も食べられないので、強制給餌が始まりました。
 液体状の栄養食やお粥を注射器で喉から流し込んでもらいました。


 食事は辛くて、むかつくので(父にではありません、胃です)、食べた物を吐いてしまいます。
 それと胃腸が弱っていたので下痢もしてしまい、体力もどんどん落ちてしまいました。


 こちらの病院では輸液の点滴を続けるしかなく、 東京の大学の付属病院を紹介して頂きました。

 


5月11日入院
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 この病院ではありません。 ここは人間の病気を治すところでした。
 
 次の写真のところです。


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診察を待つボク
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 ボクの主治医は O先生と、美人の女医さんの T先生(ラッキー!って感じ)。

 診察と検査の結果、そのまま入院することになりました。



待合室でお友達になった担当の美人先生が同じ かのちゃん
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 かのちゃんゴメン。

 おてんば娘のかのちゃんは腕にしている点滴のチューブを噛み切ってしまうので
 首にエリザベスカラーをしている。

 で、正面から撮るとカラーが邪魔してお顔だけが写ってしまう、ちょっと変顔。



5月12日 点滴を受けながらの家族との面会
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5月13日 鼻に給餌用のチューブを刺されちゃったボク
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 口から何も食べられないので、
 鼻から喉に給餌用のチューブを刺されてしまった。

 重症に見えるでしょ?


 
5月15日
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 昨日は大変だった。

 全身麻酔でMRIとか内視鏡とか色々と検査された。
 その時、首から食道に給餌や薬の注入用のチューブを付けて頂いた。

 このチューブから液体状の栄養食を注入してもらえば
 食べられなくても大丈夫。 
 
 
 でもボクの病気の原因は何なのか、はっきりしません。 

 入院前から右足に麻痺が出ていたのですが、
 顔面にも多少出ているらしい。

 多発性筋炎の疑いもあるが、今出ている症状を、それだけで説明できないという。

 悩ましいと、口癖のように主治医の O先生はおっしゃっていた。
 投薬と必要な栄養を身体が受け入れられるようになるための入院治療が続きました。



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 担当のT先生はほとんど不眠不休で世話をしてくださり、
 「今朝はカリカリのドックフードを80㌘も食べてくれました」と
 涙ぐんで喜んでくださいました。

 12日間の入院中は毎日、面会時間に両親が来てくれました。

 調子の良い時にはソーセージなどのおやつも食べられるようになったので、
 外に出て、学内のカフェの前で楽しい時間を過ごすことができました。

 だって、おやつちょうだいと言えば食べ放題だったんだから。

 
 

5月20日 五月祭で賑わうキャンパス
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 週が変わって5月22日。

 少し食べたり、お水も飲んだり出来るようになったので、

 O先生が、今のところ安定しているし、家での介護と最低限のカロリー補給も出来そうなので一時退院してみますか
 ということで退院。



 東京の家で療養。

 少しフードも食べられる時もあったり、何も食べられなかったりと
 一進一退の日々。
 
 右足だけでなく左足も多少麻痺してきた。 



 5月25日 通院。
 

 
 5月28日 通院。

 だいぶ症状が悪化しているような判断がされた。

 投薬の量を少し多くして、他の症状がでればそれを和らげるような対処療法しか残されていないらしい。



 翌日29日、東京から工房(千葉)に戻る。


 車の中ではお水が美味しく飲めた。

 静かなお庭のある工房のほうが、 療養にはいいのかな。

 ボクが留守をしている間に工房のバラは満開になっていました。 


 
 5月30日 旅立ちの日

 朝、6時ちょっと過ぎに父から水をもらう。5~6回ペロペロできた。
 父はとても喜んでくれました。


 それからはもう頭も動かせなくなって、目もかすんできてしまった。

 
 午前11時45分。

 ボクは、父と母に頭を撫でられながら、手を握ってもらったまま

 みみた、みみたと、呼ぶ声を遠くにきっと聞きながら

 静かに眠りに付きました。



 5月31日

 お世話になった大学の病院でこれからのワンちゃんたちの
 少しでもお役に立てればと、父母はボクの病理解剖を申し出ました。

 工房を朝出て、10時前にまた病院に。

 でももう歩けないから、ストレッチャーで。

 夕方、最後の仕事を終えたボクは、先生が用意して下さった可愛い花束と一緒に工房に戻りました。





庭に咲いたたくさんのお花に囲まれて静かに眠るボク
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 6月1日

 みみたを荼毘に付しました。
 
 もう みみたは収穫物とか、作品の出来具合の確認もできないし、

 日々の工房の生活を報告できなくなってしまいましたが、

 当分ブログはこのままで、みゅうがみみたの代行として

 綴っていきたいと思います。

 これまでみみたの応援をして下さりありがとうございました。

 みゅうのこともよろしくお願い致します。





 










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